こんにちは。ADHD/ASD当事者のゆらりです
診断はADHDが付いていて、ASDは主治医から「貴女はASDもあるけど、薬はADHDの診断で出せるし、自覚あるし診断は付ける必要無いと思っている」と言われています
そんな感じで自分自身が病院で診断されているので
「小中生で発達障害の可能性8.8%」という報道が沢山された時、違和感を感じました
精神科医が学校現場に出向いて、子どもさんを診て「ぽい」って見立てをしたんじゃないよね?
先生方が「多分そうかも」って集計取ったやつだよね?
先生方の診断基準(?)がバラバラなのに、何をこんなに騒いでいるの?と怪訝に感じ
一連の報道記事の本文を一切読んでいませんでした
*
その報道をスルーしていた所、割と注目して聞いている「みんほごラヂオ」にて丁寧に取り上げていたのですが
これは保護者の方にも知っておいて欲しいな、という事をラヂオパーソナリティの御二人が仰っていたので、この記事を書いています
必要な方に届きますように
ちょっと前置き:「みんほごラヂオ」って何?
誰も教えてくれない保護者のなり方を皆で一緒に考えていきましょう!がコンセプトで
youtubeやFacebookliveやPodcastにて、主に報道記事をネタにして対談(?)を配信しています
「みんほご」を配信しているのは生態学者マサさんと、教員のざたん先生です
御二人とも子育て中の御父さんで、生態学者と教員の肩書きだけでは説明出来ないくらい、様々に活動なさってます
そもそも文部科学省は「発達障害」の話をしていなかった…
ラヂオを聞いている時、まずこの事実にビックリ
各社見出しでハッキリと「発達障害」って書いてるじゃん!と心の中で突っ込んでしまいました…
一連の記事の大元の資料である、文科省が実施した調査名は
通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査
です
本当に「発達障害」の文字が入ってない…!
のざたん先生は「発達障害」のキーワードで文科省のホームページの中を検索してもヒットしなかったので
日付で検索して「これかな~?」と、一次情報を探し当てたそうです
のざたん先生:発達障害って書いてない…当たり前だよ!と思うんですけど
そりゃ見つからんですよね、発達障害の生徒・児童の人数調査じゃないですもんね(苦笑)
一次情報の調査の中身を見てみよう:成長・発達の観点から
御二人がラヂオで文科省の調査結果を見ながら喋っていたんですが、息つく暇無く、ずっと突っ込んでらっしゃりました
まず「グラフを見ると、学年が上がるに連れて年々減少をしているけど、発達しているから当たり前」で
「質問項目を読んでたけど、1年生で逆にこんなに低い割合なの?」という疑問も浮かんでくるし
「早生まれ、遅生まれの子が混在している中での調査であり、その中でも発達発育の順番やタイミングは全然違う」との事です
どういう事なんだ?というと
子どもさんって、色んなモノに興味を持って、視線がキョロキョロ、身体も動いちゃってウロウロしている子、結構な割合で居ますよね
「1年生で逆にこんなに低い割合なの?」はその事のようです
でも、そのキョロキョロウロウロも、年齢を重ねるに連れて比較的穏やかになっていきます
「年々減少をしているけど、発達しているから当たり前」はこの部分
また、身長の事を想像して頂きたいのですが
伸びるタイミング(時期)も、どのぐらい伸びるかも、個人で大きく異なります
この年齢に達したら、このくらいの能力が備わっていて当然だ、この程度出来て当たり前…は幻想かなあ、と感じます
一次情報の調査の中身を見てみよう:「発達障害」という言葉の知られ具合の観点から
成長・発達の観点以外からの言及だと「発達障害って言葉が浸透してきた面が影響しているよね」というような主旨の事も仰っていました
曰く「先生の頭の中に「発達障害」という言葉が入っているだけで「良く動く好奇心旺盛な子ども」が「ADHD(注意欠如多動性障害)の子ども」に映って見えるかも知れないし
その面を考えれば、「増えてはいない、元々居た」に過ぎないし
自分の授業を聞かない子どもは全部ADHDに映って見える先生も居るだろうな…そんな感じで「各個人の先生の意図が凄く入る」との事でした
報道された記事の本文について
また、各社の報道の本文も突っ込み所が多かったようで
報道の仕方が「発達障害が増加しているけど、支援が受けれていません」や
論調が「発達障害にはグレーゾーンがあって、診断が無いと支援が受けれないみたいな」感じの事を仰っていました
*
私も視聴後日、各社の本文も読みましたが「何か色々違うんじゃないかな…?色々ズレてるんじゃないかな…?学校現場はこんなモノなの…?」と思いました
仰っていた「グレーゾーンだと支援も受けられず」という厄介な文言なのですが
これは、子どもさん/保護者さん側が「音がうるさいから、授業中にノイズキャンセルイヤホンを付けたい!」と学校側に申し出て
「聴覚過敏か何かでしょうか?ASD(自閉スペクトラム症)とか、病気の診断は付いていますか?無いなら許可出来ません」と、学校側が要求を却下しているという事でしょうか…?
「医学的診断」の有無は、そんなに「支援」に必要なのでしょうか?
医学的診断じゃなく、児童生徒の関わり方の話
関わり方の話を聞いていると、「そこまで殺伐としてない?いや、学校、先生によるかもだけど…」と、ちょっとはホッとしました
箇条書きで、仰っていた主旨を下記に列挙
・発達障害じゃないか?と疑ってかかる先生と「落ち着き無いけど、こーゆー風にしたら大丈夫」という先生が居るよね
・目の前の生徒児童を、診断付く/付かないの分け方する?グレーなんて居るよ
・診断が付いたとて、困り事の出方は違うから、どこまでいっても個別対応
・当事者の子どもさんを相手にすると思うけど、診断ってシンプルに「その子供さんや親御さんが楽になったら良いな」って思う
診断貰った後の、私の心境の変化とか、その後の行動について
さて、ラヂオの内容はここまでで、参考になるかわかりませんが、私の話を
私はどうしても仕事出来なくて「薬が症状をマシにするらしい、なら、薬が欲しい!」と精神科に行きました
当時の目に入る情報は「生まれつきの脳機能の偏りが症状の起因」との説明が多く
「学生時代は困っていなかった。生まれつき…?じゃあ、これは私の努力不足?甘え?」と、健常者と障害者を二分していて悩んでいました
診断を貰って「努力不足じゃなかった、甘えじゃなかった」と思えてホッとしたのですが
薬と言う「困り事をマシにする手段」以外は、発達障害の事を調べまくって自己理解したり
他の当事者の困り事対策を情報収集して実践したり…と、医療じゃ解決出来ない部分が多々ありました
診断って「医療が目の前の相手を楽にする為の手段」なので
医療、医学的診断が自分の助けの一端を担わないのなら、診断自体に執着しないで良いと感じています
皆様が「私は、子どもが、どのカテゴリなのか」に囚われない事を
無意識の内に「発達障害に呑まれていた」頃を振り返り、切に願います
(「発達障害に呑まれていた」話に興味を持たれた方は末尾にリンクを貼っておきます、参考になれば嬉しいです)
知らぬ間に勘違いしてるかも?記事タイトルの言葉のイメージに注意!
今回、さも文科省が「発達障害の可能性のある子どもの数の調査」をしたような報道になっていましたが
割と「世間的にイメージしやすいから、わかりやすいフレーズ」が使われている見出し/報道があるんだとか
のざたん先生に教えて貰った例の一つが「学力テスト」
私も受けた事があります
都道府県でランキング付けされるヤツです
受けた覚えがありますが、ランキングを見て「私の住んでる地域、頭悪いんだな」と漠然と落ち込んだ記憶があります
都道府県知事がランキングが上がった下がったと一喜一憂してる、あのイベント(?)
これは正確にいうと「全国学力・学習状況調査」だそうです
初耳でした
で、思いました「なぜ状況調査にランキング付けがされて、当時の児童生徒時分の私は、序列を真に受けて落ち込んだんだ?」
*
皆様も私と同じような勘違いをしているかも知れません、子供さんも不要な落ち込みをしてるかも知れません
と、いう訳で、不必要に惑わされない為にも「1次情報/ソース」に当たりましょう!
今回のようにキーワードで欲しい情報が出てこなかったら、日付けで検索する方法があります!
色んな先生が居るよ!みんほごラヂオパーソナリティ:のざたん先生の取り組みの紹介
私の小学校時代、遅刻を取り締まる為に竹刀を持って校門の前に立っている先生が居たり、中学時代には定期的に授業50分中45分ぐらい怒り続ける先生が居たり…
これは私の体験談ですが、過去の御自身の体験や、ニュース記事などで
「なんか漠然と「先生」と聞くとイメージが悪い」方も居るかも知れません
「先生」って役割というか、職業の1つに過ぎないので、そのイメージにちょっと一石を投じて欲しいな~と思います
…って訳で!
この記事で取り上げたみんほごラヂオのパーソナリティ:のざたん先生の御活動です
会いに行けるセンセイ:「先生という職業の人とフラットに話す機会がない」という相談を過去に受けた事から、週1回、高知県のコワーキングスペース(Kochi Startup Base)でお話する時間を設けています
オンライン上でも受け付けているそうです
注目ポイントって、何より
【「フラットに話す機会が無い」という相談を受けて「ふーん」で以上終了せずに、実際にやっちゃってる所】
だと思ってます~
ご興味湧いた方はリンク先からどうぞ!
また、「会いに行けるセンセイ」の活動拠点「Kochi Startup Base」は
”一人ひとりが自分とつながり、仕事とつながり、世の中とつながる
自分、家庭、子供、仕事、地域、いずれも犠牲にすることなく一歩を踏み出すために自然体で学びあえる
「わたし」が自らと向き合い、学び、育ちたい人が共存できる安心安全なコミュニティ”
を運営方針としている、大人も子どもも利用可能なコワーキングスペースで
現在「児童・生徒・学生…子ども達が、そもそも働く大人と接点が無い事による〈こんな世界もあるんだよ〉を知る機会損失」
「そもそも「何かやりたい」と思った時に実行出来る活動拠点それ自体が無い」の課題解決の為に
クラウドファンディングをしています
〈こんな世界もあるんだよ〉を知る機会って、私自身とても大切と思っていて
例えば「1つの事しか出来ない!」「興味の範囲が狭すぎる!」と、それを「欠点だ」と言われ続け、自分でも思い込んでいた人が
「1つの事に没頭して行動して、生き生きしてる人」を目の当たりにしたら、その人の世界が変わると思います
それって「そのイベントに参加してなくても、隣の空間でイベントしていて空気感が伝わってくる」とか「違う属性の人が同じ時間を共有している」時に発生するモノですが
社会の中に「そんな体感が出来る空間」が中々存在しませんよね
「そんな体感が出来る空間」を現在進行形で創っていて
既にワークショップ等のイベントが何回も開催されています
ご興味湧いた方はページを覗いて頂ければ幸いです

こちらは具体的に行われている「Kochi Startup Base」のプロジェクト
ではまた!
参考資料




#02 みんほごラヂオ (36:30~)
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