「発達障害」に「あなた」が呑み込まれないように、その願いを込めて~発達障害の事を、当事者以外が大半を占める中でプレゼンしました~

こんにちは、ゆらりです

今回は、参加しているコミュニティ(非当事者が圧倒的多数)で「発達障害」の事をお話させて頂く企画をして、プレゼンの機会を設けて頂き

(緊張で只でさえ凹みの記憶が飛んで、何を喋ってるのか高確率でわからなくなるから、プレゼン自体は大変苦手だったんですが、お伺いしたい事があったので)

そのプレゼンのコメントを受けて感じた、私の感想を書いた記事です

読んで頂いた方のお役に立てたら幸いです

レポート

プレゼンを聴いてくださった方々は、いわゆる支援者さんサイド(教員/人事担当者等)が大半で

ご縁あって懇意にさせて貰っている「人が育つ環境を整える」支援してる人も聴きに来てくださいました

自己紹介がてら、私自身を素材にして、障害の生物・医学モデル&社会モデルの事など話しました

生物・医学モデルは、個人の凸凹が起因で生活に支障が出てるんだ、という考え方

社会モデルは、環境起因で人に障害が発生している、という考え方

ADHDの遅刻癖、時間にルーズな国は問題無いよね

感想で発せられた、紡いでくださった、その言葉が

この企画が終わった後も、頭の中で何度も繰り返し響いていました

個をどう捉えるか、が非常に鍵と思っていて

どんな人でも自分自身をカテゴライズすると、自分の事を説明しやすくなる

でも、カテゴライズすると

どんどん「個」が捨てられていく

理解したがる、説明したがる

これが「病」と思っています

この「病」の結果

【説明出来る言葉】で理解が出来ないと

どこの世界に行っても地獄になる

ほら、プレゼンでも喋ってくれてたけど

ADHDの遅刻癖って、時間にルーズな国に行けばADHDじゃないのに

ADHDとは、を説明しなきゃならない

困り事の原因は、カテゴライズすると説明が凄く簡単になる

遅刻癖はADHDだから、発達障害だから、って

理解しやすい、説明しやすい

でも、「発達障害者」で理解して、説明しだすと

「わたし」の存在が「発達障害者」の中に埋もれて呑まれていく

また「【説明出来る言葉】の中で理解出来ない人」の排除も起こっている

このあたりの話全般、ゆらりさんは身体でも頭でもわかってると僕は思っているんだけど

アカデミアの世界で生態学の分野で研究していた時も、

人の発達・発育に関わっている現在も

自分は【同じDNAでも全く違う様相を呈する生き物】を

【同じ生き物】として扱う事が心情的に出来なくて

理解したがる、説明したがる「病」と

理解出来る言葉で説明されて、わかったら説明が上手だった、みたいな「信仰」がある限り

僕たちの発達・発育のグラデーションは到底理解されない

そんな事を、プレゼンを聴いていて思っていました

長くなりました

…と、御自身のコメントを締めました

いつも「舌鋒鋭い快活な」と感じている口調が「飄々とした」穏やかさが混ざった感じで

いつもとは印象が少し違ったのは、「プレゼンお疲れ様~」という、彼の気遣いが滲み出たかな

でも、どこでも「彼は、彼らしいな」と聴いていました

そう、この生き辛さに名前が欲しい

「何か」おかしい、でも「何が」がわからない

「発達障害」の診断に救われた、努力不足・甘えでは無かったんだと

そこから当事者仲間と話したり

脳科学や認知心理学の本を読み漁ったり

自分の困り事の説明を「発達障害」を通す事で理解して、言葉にして、自分の腑に落とし込むのに躍起になった

でも、「発達障害」で理解すればするほど

ケアレスミスが薬や工夫で劇的に改善してようが

健常者との溝が埋まらない

ケアレスミスの説明を「発達障害」で理解しているから

健常者擬態(隠してクローズ就労)をしている間は特に

どこまで「困り事」を改善しても「障害者」の意識が強烈にあったから

しんどかった

「障害者がバレる」に怯えていた

あの時「わたし」は存在していた?

ケアレスミスを連発して、上司にあたる方に「どうしてそんなに出来ないの、私の教え方が悪いの」と泣かれ

情けなさで自分の存在を消す事しか頭に浮かばず

辞める理由でカミングアウトしたら、奇跡的に留まれて

障害者がバレる怯えから解放された時から

「わたし」をいくらか取り戻せた気がした

「わたしの困り事」になってから

「発達障害者である自分」をあまり意識しなくて済んで

だんだん楽になっていった

まあ、「障害者である自分」を意識し過ぎてた、その時の後遺症がしっかりと残っているんだけど、もう仕方無いね

生き辛さに納得出来る理由付けを「発達障害」が与えてくれた

理解自体は進んで、そして一旦は楽になった

でも「発達障害の中に自分が埋没してる状態」は

「障害者」と「健常者」の二項対立で世界を分断した

今、足を取られている方、救われて欲しい

自分の願いを再確認した

その方の支援活動を推した理由も再認識

私のラベリングを認識しながら

どこまでいっても「ゆらりさん」として接してくださって

色んな人に、こんな人やこんな場が必要と思ったんだ

活動の「I.Dare」を紹介させてください!…って連絡入れて(少し驚いてた気がする)書いた記事が下記のリンク

この夏も「I.Dareキャラバン(合宿)」を開催します、参加者募集中です

対象は小3~大人まで

誰もが纏う、様々なラベル、カテゴリー、役割に

「わたし」を乗っ取られずに

「わたし」を大切に出来ますように

一人でも多くの方に、必要な方に届きますように

2022年夏のキャラバン

私の気持ちの再認識をさせて頂いた時間のレポートでした

ではまた

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