こんにちは、ADHD/ASD当事者のゆらりと申します
働き出してから発達障害の診断を貰い、薬を使い
それでも普通水準に届かず退職を覚悟したものの、現在は周りの皆様の理解のおかげで同じ職場で働けています
(雇用主以外の職場の方は私の当事者性を知っています)
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今回の記事は、ご縁あった支援者さんの「子育てに関して保護者さんが出来る事」の話を取り上げています
当事者が集まる会に参加していた時の事、最後の一言感想にて
「子供が不登校になり、発達障害の診断を受けたばかりで、何が何だかわからず、大人の当事者の方の話を聞きに来た」と
堰を切ったように泣き崩れながら話したお母様が居ました
その時の、会の中心となったテーマは、参加者の方の「職場でどう上手く立ち振る舞うか」で
何回もミスが続き、上司に叱責された話や、仕事が出来なさ過ぎて自信を失っている話など
深刻な内容だったので、自身の子供さんの将来を重ねて悲観してしまったんだと思います
私の喋る順番の時に「働けている当事者も居るので」と声を掛けましたが、そのお母様に響いたか、わかりません
このお母様に会ってから、大人当事者の現状だけでなく
現在子育て中の親御さん、子供当事者さんの事にも「楽になって欲しいな」と、関心を持つようになりました
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そんな折、小中生も対象として支援業をしている方のお話を聞く機会があり
ぜひとも、子育てに悩んでいる親御さんの耳に入って欲しいと思った内容でした
お読み頂いた方の気持ちが少しでも楽になりますように
改めて「障害者って環境が決めている」とハッとした支援者さんの言葉
私がその支援者さん(瀬戸昌宣(マサ)さん)のお話を初めて聞いたのは、とあるコミュニティの発足イベントの時でした
リアルの会場で数十人、オンラインで数十人。事前に顔見知りの方は居たものの
やっぱり緊張して、いつも以上に記憶の飛び具合が激しくなっている中で
環境が整えば人間どうとでもなるから
働き出してから自身の凸凹に気付き、薬を使っても普通水準に届かず
限界を感じて退職の理由で発達障害を伝えた所、引き留めて頂いて職場環境の調整と配慮を貰い
どうにかなって働き続けていられる私
正直、zoom越しに数分聞いた内容自体も、彼の顔も、殆ど覚えておらず、この言葉が鮮明に、強烈に記憶に残りました
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しばらく経ち、教育をテーマに登壇者3名が喋るオンラインイベントにて、またお話を伺える機会がありました
前職で農業昆虫学の領域で働いており、現在の子供さんの関わり方にも活かされているんだそうです
その時の基本的な考え方は「遺伝子的に同じ生物でも、環境が違えば別種の個体として扱う」というもので
例え話をしてくださいました
アブラナで育てたモンシロチョウは、1シーズンの世代交代の回数は1~2回で
実はアブラナの品種改良種であるキャベツでモンシロチョウを育てると、1シーズンの世代交代の回数が6~7回
遺伝子が一緒の生物が、育った環境によって別の生物のような様相を見せるんです
昆虫と人間、同列に語って良いのか…?とお話を聞きながら一瞬考えましたが
学生時代まで「ちょっと鈍くさい人間」の自覚はありましたが、働き出してから「発達障害者」になった私
「遺伝子的に一緒の生物でも、環境が違えば別種の個体」
この身を持って知っていました
発達障害の診断を受けている子供さんの数が増えていますが「環境の影響」ってどのくらいあるんだろう?と考え込んでしまいました
「発達の障害」って何だろう、と「?」が頭の中で飛び交った「発達/発育のタイミングやスピード」の話
開催されたオンラインイベントは「教育」についての登壇者3名のフリートーク、という感じで
話題が数分毎に入れ替わり、様々な「教育」の話が聞けたのですが
特に彼が重要視していたのが「発達」の事でした
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発達/発育のタイミングは人それぞれ。スピードが違うだけで障害じゃない
この考えが無いと「何歳になっても何かが出来ない」とか、「高校生にもなって何かが出来ない」…ってなるんですよね
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思い浮かんだ事があり、言葉を失いました
FBのコミュニティグループで、発達障害と診断された子供さんの保護者の方が「5歳の子供が時計が読めない」と悲嘆を込めた投稿をしていたのですが
いわゆる平均的な発達スピードがあると仮定して
その平均多数の5歳児でも、数字の概念は理解出来て、時計って読めるんでしょうか…?
(私は子供が身近に居ないから、比較も出来ないんだけど)
身長なんか、そういえばわかりやすい。伸びる/伸びない、時期もタイミングもバラバラです
なぜ、いわゆる「能力」のようなモノは「××歳になっても○○出来ない」と言われるのでしょう?
「××歳になっても身長が○○cmまで伸びていない」と、誰も言わないのに
さっきは「環境の影響」ってどのくらいあるんだろう?と考え込みましたが
今度は「発達の概念が無い事による影響」ってどのくらいあるんだろう?と疑問に思いました
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発達は階段飛ばしが出来ないのですが、お膳立てされ過ぎて階段飛ばしをさせられる時があって
本人も、周りも気付かないし、大人がお膳立てしている意識が無い場合があります
発達は階段飛ばしをすると、途中で止まってしまいます
飛ばさせられた事も飛ばした事もわからず、発達の事を理解している人が周囲に居ないと指摘も受けれない
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そういえば、発達障害の当事者と話していた時
「物忘れが激しくて困っている」というので、いくつか知っている対処方法を掲示すると
どれが良いか、私に尋ねてきました
困り事の対処方法は、手当たり次第に試してみて、自分の正解を探すので、私は正解を持っていません
伝えると、それでも迷っている様子でした
自分で試行錯誤して、自分の正解を見つける前に
お膳立て(先回り)されて正解を与えられていると
「試行錯誤する」も「自分で決める」も「自分の正解を出す」もやった事がないから
する発想も無いし、出来ないのは当然ですよね…
「階段を飛ばしたら途中で止まる」は、この事かな?と、当事者の方とのやり取りを思い出していました
あらゆる所で見られる、「教育」や「子育て」での哀しい「人の育て方」「人との関わり方」
司会の方から「子育て」の話をして欲しい、と話題を振られた彼は、2つ懸念している事を話してくださいました
謙虚に観察していれば見える〈目の前の子供の様子という事実〉が見えず
〈自分の願いが込められた真実〉を子供に押し付けてしまっている事例が多く見られる事が、1つ目の懸念点
「必要なタイミングで、適切で十分な手を入れるのみ」で「子供は育つ」から
基本的に、何かを促したり、こちらからの働きかけは必要無い、と考えているそうです
けれど、「教員だから教えなきゃ」「親だから躾しなきゃ」と思いこんで、大人側が「不必要で過剰な介入」をしてしまっていて
その「介入」は「子供の為にこうすれば良いのでは?」という〈解釈が練り込まれた自分の真実〉の押し付けになっている場合が多いと感じているとの事
先程、別の登壇者の方が仰られていた「書く読む」のが大切、は同意します
けれど、「書かせて読ませる」だと無理に強制されているので、自分の頭で考える事が出来ていません
これじゃ誰も育たない
でも、なんとなく与えている情報が同じだから、与えている側は「事実と真実が入れ替わっている状態」に気付けないと感じている、とお話くださいました
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そこら中で見られている事なんだなあ、と聞いていました
「凹みを補って!」「凸を活かして!」
私の周りで頻繁に聞くフレーズです
本人が自ら言って、何かしら行動している分には問題無いと感じます
ですが、問題なのが本人の周りが言っている場合と思っています
知能検査で大まかな得意や苦手が把握出来るので
(この知能検査も、ほんの少しの限られた能力を測って支援の目安にする、手段の一つでしか無いのだけど)
その検査結果を基に
時には「凹みを平均多数の所まで引き上げ〈させられる〉」訓練をして
失敗体験が積み重なり「自分は頑張っても結果を残せない」と思い込みます
やる気や意欲そのものが根こそぎ無くなります
そもそも生来的に苦手な部分なので、強制的に鍛えて伸びる訳無いんですけども、周りが「良かれ」とさせちゃいがちです
また、「苦手だからしなくて良いよ」と周りが制限して
したい事をさせて貰えない場合もあるようです
検査結果の凸凹以前に、本人がやりたい事なのにね
「あなたはここが得意なんだから」と検査結果の凸の部分を「伸ば〈させる〉」介入も聞きます
本人がやりたい訳では無いから、嫌気がさして途中で伸びが止まる事が多いようです
当事者の視点ですが、「凸を活かして」は「凸になってて活きちゃっていた」という表現の方がしっくりきます
したい事を好きにやっていたら自分の得意になっていて活かせていて〈生来的に凸だった〉
と、検査結果で凸凹が可視化されて納得感があった、が妥当のように感じます
当事者の凸って「結果論」というのが私の肌感覚です。「伸ば〈させる〉」で伸びてはいません
上記は〈検査結果の凸凹を基準にして「子供の為に」の解釈が練り込まれた真実〉を押し付けられてしまった事例です
良くあるんですね・・・
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2つ目の懸念点は、どこで大人と子供を分けているか不明だけど
いわゆる大人が「完璧じゃなきゃいけない」と思いながら子供と関わっている事だそうです
関わる【人】が全員発達していく感覚を持って欲しい
大人であろうと、ベテランと新人さん、発達の階段の昇り具合は違いますよね
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私の母親は産後うつになっていたらしく、泣き声で寝れないし、イライラする事が頻繁にあったらしいです
その時、どんな心境で乗り切ったのかというと
「我が子の首を絞めてない、私はえらい!」と言い聞かせて
私が泣いて、自分がイライラし始めたら、自分の方が家から出て、自身を落ち着かせていたそうです
構ってもらえないといけないから、子供の泣き声は耳に付くのが当たり前
イライラするのは仕方ない。じゃあ、どうしようか?と考えたら「子供から離れる」だったそうです
完璧どころか「こんな不安定な、未熟な自分が、どう育てるか」と意識していたと聞いていたので
この話は少し意外でした
母親が明確に発達の概念を持っていた、とは思いませんが、少なくとも「完璧じゃないといけない」の考えは無かったので
「想定している完璧な母親像」から外れて、自信を無くす事は無かったんだな、と感じました
理想像に苦しんでいる方が居るなら、その像から開放されて楽になって欲しいな、と願います
支援者さんと子供さんの、とある1日の過ごし方
2つの懸念点を喋った後、大人4人と、子供7人(5歳~11歳)で過ごした時の事を話してくださいました
大人が勝手に決めて準備して計画を立てると、その計画通りに実行しようとして
目の前の子供の気持ちの動きを、確実に見落としてしまう
だから、準備はせずに
子供と一緒に意思決定をしていくんだそうです
子供に何がしたい?と聞いて「公園行きたい」と言われたらGoogle mapを使って一緒に探す
どんな遊具で遊びたい?じゃあ、どこの公園に行く?と一緒に話す
大人も子供も自分の「~したい」を伝え合う
そうするだけで、連れて行かれた場所じゃ無くなる
もちろん全部の要求が満たされる訳でも無くて
限られた時間/お金/移動手段の中で決めていく
お互いの自由を最大化して尊重しよう、という姿勢で関わっているんだそうです
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マサさんの言葉の中で「~させる」というフレーズが、一度も出てきていない事が印象的でした
教育や子育ての話になると、絶対と言って良い程「させる」「やらせる」の言葉は出てくるのですが
「子供にさせる」のでは無く「自分がする」じゃないと、身に付きませんよね
子供の様子を観察して、話を聴いて、一緒に決める
シンプルな事の繰り返しなのだな、と感じました
支援者さんが「保護者のやり方/なり方」を、喋りながら模索する「みんなの保護者会」のご案内
スラスラと澱みなく「人の育ちとは」を、まるで明確な答えを持っているかのように喋るマサさんも
4人のお子様が居るお父さんでもあります
子供さんが成長・発達するに従って、否応無く直面する「どうしたら良いんだ」と頭を抱える数々の無理難題も、保護者の立場で体験しているけれど
その無理難題に対する教科書も攻略本も無い
にも関わらず、何かにつけて「保護者なんだから」と、あらゆる責任が保護者に投げ付けられる理不尽
教育事業をしていく中で聴く保護者の方々の声も、同じような悩みばかりを聴くとの事
じゃあ、その教科書/攻略本をみんなで作り上げていきましょう~!という目的で
「みんなの保護者会(みんほご)」という取り組みを12月から始めています
当初、noteコミュニティの中で月に2回、教育に関するトピックを取り上げて「こんな時、どうする?」と、相方:のざたん先生と喋り、コミュニティ内の方々の、現在進行形で直面している課題も一緒に考えよう!(その為のnoteコミュニティ)
と、構想してスタートしようとしていたんですが、第0.5回、第1回を収録していく内に「月2回じゃ足りない。配信の事前準備をしている2週間の間に、どんどん御伝えしたいネタが出てくる!」という気付きを経て
現在は、youtubeで月2回収録して配信、もしかしたら「30分だけ!」みたいな突発的な収録もするかも?と仰りながら
「みんほごで相談したいこと、話のタネとして提供したいことがあれば」と、下記のフォームから視聴者の方のリクエストを受け付けている感じです
こんな感じで「やりながら軌道を整えて走っている」感じで取り組んでおられます
私は初期段階から御活動を眺めていましたが、試行錯誤のスピードの早さに舌を巻いています
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先日、リアルで実際にマサさんとお逢いした時
会話の流れで違和感無く、何回か自分の子供さんを話題に持ち出して
自分と似たような一面を見せた話をして、何だか楽しそうにしていたり
想定外の出来事で慌てた話をして、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたりしている、彼の様子を見て
「人の発達・発育に関して、マサさんの右に出る人は居ない」と思っているけど
「保護者としての悩み」というのは、知識量は関係無いのだな、と感じました
支援者、保護者、様々な視点で子供さんを見ている、彼の新たな取り組みにご興味が湧いた方、下記リンクを覗いて頂けたら幸いです
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必要な方に届きますように
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