こんにちは。ゆらりです。
何回も参加させて頂いている、哲楽カフェという対話をするイベントに参加してきました
今回のテーマは「個性」でした。ADHD/ASD当事者である私にとって特別な単語です
「発達障害は個性」というフレーズ、1度は聞いた事がありませんか?私は父親を精神科に連れて行った時に、担当医から聞きました
吐血して倒れた自分の妻(私の母親)の状況を理解出来ずにICU(集中治療室)に駆け付ける、という判断が出来なかった父親に対して、当時の担当医は「発達障害は個性」という言葉をかけました
以来、強烈に「個性とは何?」という疑問が頭にこびりついています
恐らく、当事者の方にとって「個性」って関心のあるキーワードだと思います
対話の要約、というより、私が対話の中で感じた事を中心に書いています
読んで頂いた方が「個性」に関して自分なりの気付き・答えを得られて、ちょっとでも楽になりますように。
【個性=ポジティブイメージを持っている】
障害は個性か、というテーマが対話の中で少し出てきました
「本人が気にしていなければ個性と思う」「障害を個性と捉えるか否かは、他者の目線や環境が重要な要素になる」という意見が出たり
普通(多数)じゃないと言うと排他的になるけど、個性と言うと柔らかい表現になる、と言う意見も出たりしました。
【フレーズだけでは無くて、相手の意図を想像してみた方が良い】
上記の意見を聞いて「障害は個性」という言葉をどう受け取るかの違いが出るのは、障害に対してネガティブなイメージを持っているか、ポジティブなイメージを持っているか、と感じました
確かに突出した能力を活かして生活しているADHD/ASD当事者が居ます。パラリンピックに出ている選手は生き生きして見えます
この方々に焦点を当てると「障害は個性」のフレーズは、ポジティブイメージ同士になるので違和感が無いのだろう、と対話を聞きながら思っていました
発達障害の診断を受けた方に対して「発達障害は個性だよ」と言う方がいらっしゃいます
病院に駆け込むぐらいに困り事を抱えた方に対してかける言葉ではない、とは思うのですが、この声掛けをする方は「励まし」「憧れ」として使ってる事が大半のように思えます
私もADHD/ASDの事を言った時に、グレタ・トゥーンベリ氏(ASDの環境活動家)などを想像した方がいらっしゃり「発達障害の方って病院に行くのですか?」と言われた事があります。相手の方に全く悪気はなさそうでした
言葉のみで反応して自分が傷付くのは時に勿体無いので、この事は心に留め置いた方が良いと感じます。
【普通=多数派の意味】
哲楽カフェでは事前に告知されていたテーマで参加者の方が「問い」を作り、その「問い」から話し始めます
今回の最初の「問い」は「普通って個性?」でした
普通とは何か?という話にもなり「多数派という意味で使われている事があって、多数派の方が秩序が保てるから、普通の方が良いとされる」「統制が取れて社会のルールや、会社組織が運用しやすい」との意見がありました
【普通(多数派)じゃないから、回りから浮く】
私達当事者は能力の凸凹差が激しい点で少数派です。少数派が悪いとは思いませんが、同調が強い社会では結構不利です
回りと協調したくても能力の凸凹上、出来ない時がありますし、空気の読み辛さもあいまって同調しようとなると更に困難です
凸凹の自己理解をして、凹みの部分が支障が出ない程度にカバーをして(それは道具でも、環境調整でも、手段はなんでも良いと思います)
後は、理解してくれる人を見付けるのが楽な道だよね、と改めて思いました
【個性って何?】
「自分という言葉と個性という言葉がリンクしている」と参加者の中でおっしゃった方がいます
以前の哲楽カフェのテーマ「自分」を話した時の「個性という言葉は1人じゃ成り立たない」「自分というモノは無い」という言葉が出てきた事も紹介しながら
自分というモノは建物みたいなモノで、自分で素材を選んで、レイアウトを考えて、組み立てていったら唯一無二の「自分」になっていくと思う、とのご意見くださりました
最後に「どう生きたいか?が個性と思う」と締めくくってくださいました
【少数派は「自分」を確立しやすい点は良いかも】
望むと望まざるとも能力の凸凹があり、当事者は他者との違いが否が応でも日常生活で感じると思います
私は記憶力の関係でメモの量が多いので、人との差は行動面で目に見えてわかります。今回もZoomで参加しましたが私だけ常にメモを取り続けていました
また、ADHD/ASDは関係無いのですが、こうした対話をしていると、他の方と意見が違うので「自分」が意識出来ます
空気を無意識に読める方、回りに合わせる事を身に染み付かせてしまった方は、自分がわからない人が一定数いるそうです
自分が無くて主体性が無いと、幸せになりづらいとか
「自分」を確立しやすい点は、他人との差異がわかりやすい、少数派である当事者の強みかも知れません。
【終わりに】
私が参加した哲楽カフェは、冒頭で自分の気持ちを言うだけで自己紹介らしい自己紹介をしないでも良い、結論を出す事を目的にしている訳ではないし、最初のテーマから話が移り変わっていくのもアリ、というイベントです
主催者の方によっても、少し色合いやルールは違うと思います
ただ、基本的に対話のイベントは相手を否定しない事をルールにしているかと思います(意見を否定される事はあると思いますが)
自分の当事者性を過剰に意識しないで過ごせる時間を楽しみたい方に対話イベントをお勧めします
ちなみにタイトルを「発達障害を仄めかして」と銘打ちましたが「個性的過ぎて病院に行く羽目になりました」と冒頭で言ったからです
参加者の方は特に気にされていませんでした。障害は個性か、というテーマに移り変わった事が「場の証左」だと感じました
ではまた。
月1回程度のペースで開催されています。ご興味があればどうぞ。
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