こんにちは、ゆらりです。
皆様は誰かから頼み事をされた時、お返しを期待していますか?期待していませんか?期待しているとしたら、それはどんな時でしょうか。
また、誰かから何かをタダで貰った時、罪悪感を感じる時はありますか?ありませんか?感じるとしたら、それはどんな時でしょうか。
今やっている事は、なぜしているのでしょうか?
今してもらった事に対して、なぜそんな気持ちになっているのでしょうか?
先日参加したSDGsカードゲームイベントの対話でヒントを貰いました。
意味がわからないまま行動するより、理由がわかって行動したほうが気持ちが晴れると思います。
自分の気持ちがわからないまま過ごすより、理由がわかって過ごしたほうが気分が良いと思います。
読んでくれた方の明日が、ちょっぴり良くなりますように。
SDGsとは?
まずSDGsというアルファベット3文字は何の事かと言いますと「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。
…とだけ聞いて分かる方はいませんよね(もちろん私もわかりませんでした)。
国連サミットで採択された、国連加盟国193ヶ国が2016年~2030年の15年間で達成する為に掲げた目標(Goals)の事です。大きな目標は17あります。
で、Sustainable Development とは「未来の人が困る開発はやめようね」というニュアンスです。
要するに【今の世代も、これから先の世代も、全ての人が幸せになれるように17の目標を作ったから、御互いに協力して実現させよう】というのがSDGsです。
SDGsをもっと詳しく知りたい方はこちらへ
SDGsカードゲームのざっくりとした説明
詳しい説明はイベントに参加する時にしてくれるので、ここでは簡単に済ませます。
このカードゲームは「あらゆるプロジェクトを実行しながら、自分の幸せも色んな価値観を持った周りの人の幸せも叶えつつ、世界の経済・環境・社会を良くしよう」というのが最終目標です。
自分の手元には「価値観を示すカード」があり、ゲーム終了時に自分のカードの価値観を叶える事がゴールの1つです。
様々な価値観カードがあって、お金をゲーム終了時に多く持っている事や、時間を多く持っている事など、現実世界と同じように異なる価値観の人が自分の想いで行動をします。
手持ちのお金カード、時間カードを使ってプロジェクトを達成する事により、経済・環境・社会が動いていきます。
とあるプロジェクトを実行すれば、経済が発展する代わりに環境が悪くなる…環境を大事にすると経済の発展を妨げる…
なお、他の方と交渉をして、手持ちのお金や時間のカードをやり取りする事は可能です。
カードゲームをしている時に、罪悪感を感じる自分が居る、という気付きをされた方の問いから対話がスタートしました。
対話での話し始めは?
対話の最初のテーマは参加者から集めました。移り変わっても良いし、全く別の話になってもオッケー。
以下は私が参加した時に出てきたテーマです(一部抜粋、わかりやすさの為に補足)。黄色のラインが最初のテーマになりました。
- 現実世界の見える化どうやったら良い?
- カードをタダで貰う罪悪感について
- 目標(目的)と方法(手段)って、なぜごっちゃになるんだろう?
- A hole new world(映画「アラジン」のテーマ曲)が頭に流れているけど、なぜ?
- 個人レベルの目標設定について
- SDGsのテーマ曲「Imagine」がSDGsとリンクしない問題
イベントにもよると思いますが【今、感じている内容】なら「問い」として出して良いはずです(全く関係が無さそうな「問い」でも繋がってきたりします)。
社会で必要な空気って…?
この問いを出してくれた方は「自分は何もしていないのに、自分にとって価値があるカードをタダで貰う事に罪悪感を感じた。」こんな想いをゲーム中に感じたそうです。
私は、この方に「自分にとって要らない物を「欲しい」と言われたら、私はあげますね。自分は必要ないから。あげる側は納得してるので、罪悪感を感じなくて良いと思いますよ」と言いました。
他の方も「自分にとってのゴミのリサイクル…うーん、古着あげるよー、の感覚でした」とおっしゃっりました。
ここで「生活の中で【タダで貰って罪悪感ある】【無料サービスを利用して罪悪感がある】時ってどんな場面?」という問いが投げられました。
お金を貰ったら流石に罪悪感を感じる…スーパーの試供品を食べて買わなかった時…と、いくつか具体例が参加者の中から出ました。
でも、相手も何かメリットがあるから、そうしてるんじゃないか、との意見。
試供品なんて損しないように計算してるから(10人に1人買ってくれたら儲けが出る、みたいな計算してるはず)気にしなくて良いんじゃない?
反対に、罪悪感を感じない時は「コンビニのトイレを無料で借りるけど、それは緊急事態だから」との声。
これにも「トイレから出てきた人が100人中の1人でも商品を買ってくれたら利益出るし、無料提供してるのかも。
それかキレイなトイレだったら、次は何か買いに来てくれるかも知れない、汚いトイレのお店より、キレイなトイレのお店行きたいよね…というお店の戦略もあるかも。」と意見が出ました。
ここで「そのストーリーに何を見るか、は、結局自分なんだよね、本当の事はわからない。
子供と関わる仕事をしていた時に、折鶴を折ってくれる子が居たんだけど、媚を売ったら自分のメリットになるから、とも考えても良いけど、純粋に何も考えずに俺に折鶴見て欲しかったのかも知れないじゃん。
わかりやすい見返りや恩送りの話をしているけど、気持ちの問題かもね。」とファシリテーターさんがおっしゃいました。
そうですよね。全部、自分が勝手に考えている相手の利益です。もしかしたら、全くの検討外れかも知れません。
参加者さんの一人がこんなエピソードを話してくださいました。
「エチオピア行った時にね、ストリートチルドレンの子から日本の美味しい黒豆貰ったの。
エチオピアはお金持ちがわざと食料を沢山買って、その辺に食料を置く文化があるから、飢えは酷くないけど、日本人とバレたらお金持ってると思われて襲われると危ないから、ボロボロの格好してたの。その凄く汚い格好の私にくれたの。
本当美味しくて、うめー!!!って叫びながら食べて、ありがとう!!!って、黒豆くれた子の方を向いたら、その子もう居なかったの。私にただ、あげたかっただけなのかな…?」
このエピソードを話してくれた方と長い親交があるファシリテーターさんは「いきなり叫んだから「ヤバイ奴」に黒豆あげてしまったと思ってビックリして逃げたんじゃないか…?(笑)
でも、今、頭の中で、うめー!!!って叫びながら食べてる○○ちゃん(彼女の名前)と、後ろを振り返りながら慌てて逃げてる子供の情景が、アラジンの「A hole new world」をBGMにして浮かんできたよ!これか!」と納得していらっしゃいました。
ストリートチルドレンの子は、その黒豆が家族にあげる最後の食料だとしたら、見知らぬ汚い格好の人にあげていたでしょうか。飢えていなかったから、満足していたから、あげたのではないでしょうか。
「見返りを求めない=飢えてない」
「見返りを求める=(何かに)飢えている」
今は、多かれ少なかれ、失ったら「生きる不安」を抱えてしまうと理解しているから、与えられない。生活の不安で与えられない。 必要なのは「A hold new world」 のふわふわした幸せな空気感や安心感だよね、となりました。
まとめ~イコール関係になってない時に、モヤモヤしやすい~
お腹が満足している時(飢えてない時)にスーパーの試供品を食べて商品を買わなかった。与えられっぱなしで罪悪感が出たのかも知れません。
自分の「飢え」に気付けないと、いつまで経っても何かを求め続けていくかも知れません。誰かに認められたい気持ちに気付かずSNSの「いいね!」の数をもの凄く気にしている方が居るかもしれません。
「なぜこんな行動をしているのかな」と疑問に思った時、「何かに飢えてる?」と考えてみてください。何かに気付くかも。
このカードゲーム、本当に良く出来ていて、その時々で違う気付きがあります。
ご興味を持たれた方は各地でSDGsのイベントが開催されているので、探してみてください。
それではまた!
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