こんにちは、ADHD/ASD当事者のゆらりと申します
今回は、発達障害関係の研究をしている方3名が登壇していた
学術的な内容を一般の方と共有する「発達障害シンポジウム2022:発達障害にどう向き合うべきかー社会モデル×脳科学の交差点」を録画で視聴しました
著作権もありますし、シンポジウムで話された事柄自体はあまり細かく書けないのですが
「研究者の方だからこそ」という「内容の価値」を感じたので、記事にしました
研究者の方の話は「難しそうで聞いても理解出来なさそう」など
イベント参加を躊躇っている方が居たら、そのハードルを下げれる一助になれば幸いです
*
いきなり、私が感じた「研究者の方だからこその情報の価値」を書いても、お話を聞いた事の無い方がイマイチ腑に落ちないと思うので
まずは簡単にシンポジウムの内容を要約します
…おっちょこちょい発達当事者、内容を聞き間違えてない?!と不安を覚えた方
大丈夫です
本人が一番不安なので登壇されたお三方に内容を確認して頂きました。御安心してお読みください
井手先生 タイトル:「リズミカルに手足を動かすのが難しいのはなぜ?」
最初は、井手先生(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)のお話
特に感覚と運動についての、自閉症の認知神経科学研究がご専門の方です
今回の発表内容は発達性協調運動障害(Development Coordination Disorder:DCD)に関する事でした
DCDとは、字を書く/ボタンを留める等の細かい作業(微細運動)と
姿勢を保つ、スポーツをする等の全身を使う動作(粗大運動)に日常生活上の支障がある状態の事です
誤解を恐れずに砕いた表現をすると「信じられないくらいの運動音痴で、生活に困り事が出ている」といった感じです
最初に、(文字だと表現しにくいのですが)右手・左手・左足・右足を同じ方向に動かしたり、違う方向に動かしたりをリズミカルに行う「タッピングタスク」という運動を
ASD者と定型者、それぞれの方々にしてもらい、そのパフォーマンス結果を比較した研究を報告して頂きました
もう一つ、動作方向の制約(上記の研究結果で、定型者と比較して、ASD者の方が指示された複雑な動きを継続出来ず、早めに単純な手足の動きになった)がどういった日常生活に関係しているか、を調べた研究も報告して頂きました
※動作方向の制約は、定型者でも見られます。上記の研究結果は「比較してASD者の方が」という比較した研究結果です
BOT-2スコア(運動テスト)の結果と、動作方向の制約のパフォーマンス結果の関連性を示して下さりました
動作方向の制約が大きい(つまり、複雑な手足の動きが継続出来ず、早めに単純な動きになった)ASD者ほど、BOT-2スコアが低い傾向がある、という結果でした
以上の結果を踏まえて、どのような脳のメカニズムが関係しているかの考察、先行研究に基づいた推測をお話くださった後(文字にすると複雑過ぎるので割愛)
DCDを抱えた児童は集団生活の中で他者と自分を比べて自己効力感(≒自信)が低くなりがち、という先行研究と
先行研究を踏まえて、様々な脳の器質的・機能的な特徴が障害(=生活上の支障)の起因である事は間違いないが
脳の損傷などの明確に捉えられるものでないので、個人の診断に応用する事は難しい事をお話くださりました
*
最後に、発達障害の障害特性については、ハッキリ目に見えるようなモノでは無い事も多く
当事者側が「自分が治すべき」「矯正すべき」という方向性の話だけでは、当事者だけが苦しみを抱え込みがちになるので
発達障害の脳科学の知見こそ、正しい理解を示す事により
社会モデルの枠組みで、どう発達障害と向き合っていくかを促す推進力に貢献するモノです、と
脳科学の意義をお話して発表を終えました
*
最後の井手先生の「発達障害の障害特性については~(中略)~推進力に貢献するモノです」という言葉が印象的でした
下手をすると、脳科学・生物学からの知見は「健常者とは脳の作りが違う」という受け取られ方をされてしまい
「健常者・障害者」という人間のカテゴリ分けを助長してしまうかも知れません
だからこそ、知見の伝え方を考え「人間は一人一人違っていて、その「個体差」の中で特徴的な方々が居る」程度の認識になってくれたら良いな、と感じました
発表の中で、井手先生が「動作方向の制約は健常者でも見られます」とやたらと何回も仰られている所に
「健常者・障害者」の区別をしないで欲しい、という願いの表れ?を感じて、嬉しくなりました
渥美先生 タイトル:「感覚過敏」と「ユニークな感性」のはざまで
渥美先生(杏林大学医学部・病態生理学教室)のお話
専門的に、ASDの感覚過敏・鈍麻の研究、動物との比較研究をしている方です
最初に、ASD者に見られる「感覚過敏」「感覚回避」と時間分解能の関係性の先行研究を紹介をしてくださり
※時間分解能とは:何かが動いた時、止まった時の変化がわかる能力
指先に振動が発生する装置を付けてもらって「時間分解能」を測定した研究結果を話してくださいました
その結果、時間知覚課題で、時間分解能と過敏の強さが関連している事がわかったそうです
次に、とても強い感覚過敏を持ち、かつ時間分解能が高いASD者1名の、脳の活動を調べた研究も紹介してくださり
その後「なぜ一定の強い脳部位の反応を示すのか」という脳のメカニズムの考察をしてくださりました
ざっくり言うと、脳の興奮/抑制(E/I)バランスが関係しているとの事です(文字にすると複雑過ぎるので割愛)
この脳の興奮/抑制(E/I)バランスにGABA濃度が関連している事が様々な先行研究で示唆されているのですが
最近発表された、腹側運動前野(PMC)のGABA濃度が低い程、強い感覚過敏、視床のGABA濃度が低くても強い感覚過敏が見られた研究を紹介して
以上の先行研究から「GABA濃度と時間認知と感覚過敏はお互いに影響をし合っている」だろうな、という事が示唆されている現在の知見を示してくださりました
また、動物実験でGABA濃度をコントロールした時にどうなるか、という御自身の研究報告をして頂きました
GABAの活動を阻害するような操作をした時は、時間分解能の活動の上昇が見られ、
逆に運動前野の活動を阻害するような操作をした時は、時間分解能の活動の低下が見られたそうです
上記の研究結果を踏まえて「ASDの知覚と注意機能に関して」の話をしてくださいました
ASDの方は空間情報処理では度々高い成績が見られ、細かい所の変化に気付きやすい事が知られています
ですが、「全体を見れない」といった事でも無く、木を見て森「も」見れる事も知られています
「部分」情報を効率的に処理する局所選好があるそうです
この先行研究から「時間の情報処理・感覚過敏・空間/注意の情報処理は、どのように関係しているか?」という事を調べた、ご自身の研究報告をして頂きました
(実験手法と詳細な結果は文字で説明しきれないので割愛)
この研究では、時間処理に優れるほど感覚過敏は強いが、その時々に不要な情報処理を抑制する特性とは異なるメカニズムで生じているのでは?という示唆を得たとの事でした
一人ひとりの日常の課題と、ユニークさとしての受容可能な特徴の違いは、その神経生理メカニズムを今後も詳しく調べる必要がある、とまとめてくださいました
*
渥美先生のお話は、ASDの「わかっている事(=研究結果からお互いに影響し合っている事柄だ、という示唆が得られている事)とわかっていない事」を示して頂いたモノでした
知見を聞かせて頂き、「支援に際しての当たり判定」に役に立ちそうだな、と思いました
時間処理に優れている子は、もしかしたら何か感覚過敏で困っていないかな?
感覚過敏が強い子は時間処理に優れているかも知れないから、何かその分野で得意な事があるかも知れない、本人の自信・やる気に繋がる支援は出来ないかな?
関わる方々が少しそんな意識を持つと、本人の生きやすさに繋がるかも知れない
支援業をしている方にも聞いて欲しいな、と感じた知見でした
篠宮先生 タイトル:「『ASDは脳の障害』。それだけで良いの?ー社会学・障害学から見たASD」
最後の発表は篠宮先生(The University of Exeter)
ご自身の広義の研究テーマは、発達障害の医療化・自閉症概念のグローバル化で
現在は「西洋由来の自閉症関連の知識がどうやって日本に輸入されてきたのか、またそれはローカライズに成功/失敗したのか?」について、歴史資料を見たりインタビューをしているそうです
今回は、脳神経科学的研究と、社会学・障害学の関係性について、整理してお話頂きました
そもそもASDという現象は多面的で、井手先生・渥美先生のような脳神経学的な研究などの生物学的な側面(当事者個人の特性)と
なぜ特定の人が「障害」と言われるのか?というような社会的な側面(ASDというものを取り巻く社会の特徴)があるけれど
科学的研究でも、発達障害者支援法の定義でも、生物学的な側面が強調されているのが現状で
生物医学モデルと社会学モデルが手を取り合う必要がある、との事でした
生物医学モデルは「有益な仮説」と捉え
「親や個人のみのせいでASDになる」責任論を回避出来たり、生物的な側面がわかったりの面がありますが、限界もあり
どうしても社会的要素がASDの定義と診断に入り込んで、一概に「脳や遺伝子の障害」と言い切るのが難しい事
そして、【個人の中に障害があるからそれを「治す」】という発想・思考を作りがちで
治すコストや労力が当事者や家族に委ねられがちになる「個人化」を招きやすい、とのお話でした
※社会的要素というのは「コミュニケーションの障害」の時点で他人との関わりは社会的要因、社会的通念からの逸脱度合いが関係する点(≒常識からどれだけ外れているか)、DSM(診断マニュアル)の批判の事
現状、生物医学的モデルのみでは説明出来ず、社会的要因も含まれている為
ASDカテゴリは「非均質的(heterogeneous)=非常に多様な人々が診断基準に入り込んで」いる、という説明の後
障害の社会モデルの説明をして頂きました
身体的変異(=脳機能障害)があったとしても、それ自体が障害なのではなく、社会的不利が社会の中で発生する社会が問題で
身体的不利(=impairment)が社会によって障害とされてしまう(=disabled)、というのが「障害の社会モデル」との事です
※日本では「障害」という言葉一つで表現されるので伝えにくいけど、英語表現だと意味で細かく言葉が分かれているそうです
その為、「生物医学モデル的な考え方」と「社会モデル的な考え方」の区別は、英語の方が日本語と比べると付きやすく、伝えやすい様子(一般的な英単語の意味と社会モデル界隈で使われている時の意味は少し違うそうです)
impairment:身体的に障害があること・身体的な変異
disability(disabled):社会的に障害がある状態にさせられていること
また、社会が違う形であれば発生しなかった不利益によって「障害者になってしまっている方々」が居ると考えて
「社会の端に追いやられている人」と、「彼らを端に追いやる社会環境がある」と想定すべき
…と、上記のように、社会モデルは「個人化」をやめる事が論点なのですが
どうしても現代人の思考のクセで、社会的な側面に取り組んでいると思いきや、個人化してしまっているという事もある、話してくださいました
自分の得意不得意を理解して、言語化して伝える事が出来るようになれば、合理的配慮が受けられやすくなるよ!と当事者のみに求めるのは、当事者に負担が過剰にかかっているし
「当事者のニーズを満たす」という考え方をしてしまうと、当事者が「なぜ、そのようなニーズを持たざるを得なくなったのか?」という社会的な構造の側面に意識が及ばなくなる
といった事を「実は個人化してしまっている例」として挙げてくださいました
そして、「単なる特徴」「障害は個性」の限界の文脈から起こった「ニューロダイバーシティの運動」の話をして頂きました
ASDは障害ではなく脳の個性、マイノリティな脳を持った人達
障害とみなし、社会の側が変わるべき、という「障害は個性」派の急先鋒が「ニューロダイバーシティ運動」という位置付け
ですが「治せる・緩和出来る部分は治したい」「それが言えるのは高機能群だけ」という知的障害を伴うASD児の親の反発・批判もあるとの事でした
最後に「個人面や社会面は何を補い合うべきか」という事をお話くださいました
◆個人面に取り組む人が率先して考えるべき事が「ASDの社会的で曖昧な部分をいかに科学の中に入れて進められるか」
具体的には「定型からはっきり区別しうる”ASD”という種類の人間がいる」という前提をどこまで和らげられるか、という課題
※定型発達との連続性やASDの非均質性を加えて研究を行おうとするプロジェクト[RDoC]や、今後の動向が注目される比較的新しいプロジェクト[HiTOP]など、試み自体はあるそうです
しかし、実際の現場では結局シンプルで直感に合う「ASD」「ADHD」というカテゴリが定着していて、DSM(アメリカ精神医学会による、精神疾患の診断基準マニュアル)が主流になっています
現場での診断基準の使いやすさ/便利さと、科学の正確さ/妥当さは、両立しにくい側面があります
◆社会面に取り組む人が率先して考えるべき事が「どうやって個人についてわかったことの対処を個人に負わせないか、どうやって社会の側の言葉に置き換えていくか」
具体的には「個人面についてわかった事を、すぐに個人が解決すべき課題として負担を背負わせないか(社会関係・社会的背景までの考察が必ずセットにする事が重要)」
「社会モデルは社会がどう変わるのが望ましいか、の具体的な提案に失敗しがちで、机上の空論を話してしまいがち、その空論もボンヤリし過ぎて何も言っていないのと殆ど一緒、という事態をどう回避するか」という課題
この2点の「個人面側の課題」「社会面側の課題」を問題提起として、発表を締めくくってくださいました
*
発達障害に関しての現状の概要が聞けて、頭の整理になりました
どちらかと言うと支援者さん側に向けての発表だったように思います
当事者としては有り難いと感じました
当事者が「当事者の思考」や「行動の理由」を社会に対して発信すると、どうしても「そんなに配慮出来ない」とか「周りの迷惑も考えろ」などの反応が返りがちです
(私見ですが)当事者が「当事者の思考」や「行動の理由」を社会に向けて発信する理由は「配慮が欲しい」「受け入れて欲しい」という願いからでは無く
「当事者に関わっている方々の気持ちの面が楽になって欲しいから」「溜飲を下げて欲しいから」の意味合いが強いように感じます
理解自体が実際問題の改善に繋がりはしないかも知れませんが
理解が誰かのしんどい気持ちの緩和になれば、「理解の促進」は意味のある事です
当事者だからこそ発信に抵抗を感じる内容を、色んな立場の方が視聴している場面でお話頂いて嬉しく思いました
ディスカッションタイム
篠宮先生の発表が終わった後、そのままの流れで意見交換が始まりました
◆情報の伝え方の限界もあり、どうしても個人化を招きやすいような表現になってしまい「当事者の中にのみ原因がある」と受け取られやすい
現在の研究手法では、「定型者」「ASD者」とハッキリ両者を真っ二つにして比較研究をする側面がある
しかし、ASD者の中にも感覚過敏と感覚鈍麻を同時に持っていたり、その程度も様々
その「ASD者も多様」という事を併せて伝えないと個人化を助長してしまいがちと感じる
◆ASDという現象は曖昧な所がメリットになり得ると考えている
アプローチによっては、他の精神疾患の方、普通の人の生きやすさにも繋がる可能性もある
例えば、「パニックになった時、静かな空間に行って落ち着かせる」というASD者の特徴があるけど
これはパニック障害を持つ人も同様の傾向があるので、社会の中に「誰でも使える静かな空間」が実装されれば、色んな人が生活しやすくなれると思う
◆Twitterでの「GABAの低下がASDの困り事の原因だったら、GABAを摂取すれば良いのか?」という質問の回答
GABAを経口投与、つまりGABAチョコレートなどありますが、食べても脳に直接届きません
「血液脳関門」と呼ばれる所で、脳に届く物質が選ばれています
不要な物質は、この「関門」を通る事が出来ません。GABAも通れません
仮に、将来の研究でGABAが血液脳関門を通れるような事がわかって、その技術が開発されたとしても
脳の、どの部分にGABAが効くかわからないし、脳全体に影響するかも知れないし
それが悪影響なのか、良い影響なのかも、わかりません
加えて、「GABAをASD者に投与して感覚や知覚を調整・矯正する」という発想は
「個人化」の例と思います
…という、とても丁寧な回答を井出先生が仰っていました
*
他にも挙げられた話題があったのと思うのですが、録画を見て文章にして纏める私の体力が無くなりました、熱量に圧倒されました(苦笑)
とても印象に残っているのが「ASDという曖昧な現象が、多くの方々の生きやすさに繋がるのではないか」という可能性について話して頂いた所です
確かに「静かな空間が必要」という要望の度合いは違えど
いわゆる健常者と呼ばれる方々も「静かな空間で休憩したい」と思う時はきっとあるはずです
見た目でわかりやすい「身体障害者の方」の生きやすさを考える文脈だと「健常者」と区別を付けやすく「そのカテゴリの方だけ」の話に終始してしまいがちです
発達当事者はその点、健常者との区別が曖昧です
曖昧故の課題で当事者は困っている面は多々ありますが、曖昧なので「ASDという現象」と捉える余地の部分で
「<誰でも使える>便利な空間・制度・道具」の発想や実際の開発
つまり、ユニバーサルデザインの視点が「ASDという現象」から持てる事は希望があって良いな、と感じました
この視点を持つ時に、「障害者というカテゴリ」で括ってしまう意識がネックになり得るので
一人ひとり違うという「個人」の前提を、社会を構成している一人ひとりが持てたら理想だな、と思います
*
以下からは【私が感じた、研究者の方だからこその「情報の価値」】について書いています
今現在の「妥当性、信頼性、正確性」が担保されている情報という点
発達障害は社会的な面も含み、個人のみを焦点に当てても「環境によっては障害だし、環境によっては障害ではない」時があります
また、生物学/医学的な面も、どこまでいっても「個体差」という側面があります
この「環境によって障害になったり、ならなかったり」の社会的な側面と
「個体差があるが、一定程度の傾向がある」生物学/医学的な側面が
発達障害に関しての情報の「妥当性・信頼性・正確性」が判断しにくい原因です
当事者一人が語っている肌感覚の話なのか、一定の担保がある「研究結果」なのか、判断が付かない時もありますし
発信している人が勘違いをして「こんな研究結果がある!」と言っているかも知れません
また、世の中にあるセミナーの情報が「嘘」だとは言いませんが
わかりやすさ重視で「その情報の表現の仕方だと誤解を招く」ほど、誇張された内容の時もあるかも知れないです
この「情報の妥当性・信頼性・正確性」の点に関しては
少なくとも研究者の方は「先行研究」という「科学的根拠のある情報」を基に発信しています
シンポジウムを視聴した方なら感じたと思いますが
「論文、逐一と言って良い程スライドに載せてるな~」と感想を持てるぐらい
お三方のスライドには「情報の根拠としている論文」が載せてありました
ここまで「情報の妥当性・信頼性・正確性」を重視した立場の方(=研究者)のお話は
信憑性が不確かな情報が溢れる社会で聴く価値ある内容と思います
伝え方に細心の注意を払っている点
情報の解釈は人それぞれです。そして、情報そのままに受け取る事は案外難しいです
今回のシンポジウムでも、井手先生が対談の中でお話をしてくださいましたが
「脳内GABAの血中濃度と当事者の困り事の関係について」の発表がされる度に
毎回と言って良い程「GABAを摂れば困り事の改善になる」と解釈してしまう方が居ます
この解釈をしてしまう、という事自体が「当事者が切実な困り事を抱えている証」という事はともかく
困り事の改善になる!と解釈したまま、例えばGABA入りチョコレートを毎日食べて栄養バランスに影響が出る事は考えられます
なんでも「摂り過ぎ」って禁物ですが「改善がしたい」という気持ちで大量に摂取してしまう予想は出来ます
何かしらの悪影響が出るかも知れないです
*
この「情報そのもの」と「情報に解釈が加わった誰かの真実」の切り分けは
研究者の方は常日頃、訓練されているだろうな、と思っています
この切り分けが出来ないと、論理的な文章である「論文」は書けず、研究職を続けていられません
この点、チャットやSNSで質問が出来る環境だと、指摘をしてくださると思います
上記のように、どこまでいっても「受け取り手の解釈」はコントロールする事は出来ません
しかし、この「情報の伝わり方」は特に研究者の方は意識をしている、と感じています
研究内容自体を、悪影響を及ぼしかねない解釈をされてしまっては、研究の意義そのものが揺らぐからです
「伝える時の、相手の情報の受け取り方」に関して、研究者の立場の方の意識は特に強く、発表の仕方も気を払っていると思います
この点も、お話を聴く価値の1つだと思います
難しくて読んでも理解が苦しい論文の内容をわかりやすく伝えてくれる点
読む人の読解能力が低い訳では決してありません
学術論文は同じ分野の研究者の方に向けて書かれています
知識がある人にわかる専門用語が文章内に多く含まれているので、まず「読んでも単語がわからない」事があります
単語がわからない時点で「文章の理解が苦しい」のは当然です
加えて、英語で発表しているなら…英語がわからないと、そもそもアウトですよね(苦笑)
*
「一般の方向け」に喋る時に「学会の研究発表」の調子で喋っては伝わらないので
「妥当性・信頼性・正確性のある内容」と「わかりやすさ」のバランスを考えてお話をしてくださいます
「読む」と「聴く」では、理解が格段に違う時があります
渥美先生が「時間分解能」という言葉を説明されていましたが、ネット検索で調べると、解説自体の言葉が馴染みが薄く、嫌気が差してしまいました
書き言葉で正確性を重視し過ぎると、わかりやすさに欠ける場合があります
…私は言語性凸、特に「読んで理解するタイプ」という自覚がありますが、正直「聴いてた時の方が理解してた」と思ってしまいました
事前に話を聞いて、事前にボンヤリと「時間分解能」を知っていなかったら、もっと理解が出来なかったと感じてます
認知特性(情報の受け取り方法の得意・不得意)の差も、特に当事者さんは激しいので
読んで理解出来なくても、聴いたら理解出来る方も多く居ると感じますし
私のように「言葉を聞いて理解するより、文章を読んで理解するのが得意」でも「世の中の解説文が難解」って事もザラにあります
この点においても「研究者の話を聴く」価値があると感じています
*
余談にはなりますが「Cinii」「Google Scholar」「Research map」などの学術系のデータベース、研究者ご本人のサイトにアクセスすれば、論文が読めます
読むのが得意な人は、もしかしたら「読む」方が理解が早いかも?
興味がある方は、覗いてみてください
井手先生(Research map)
井手先生(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)
渥美先生(Research map)
渥美先生(HP)
篠宮紗和子先生(Research map)
発表にはもちろんの事、「参考」や「お願い」にも新しい発見や最新知見が入っている点
今回のシンポジウムで言えば、井出先生の発表「発達性協調運動障害(Development Coordination Disorder:DCD)」自体はあまり知られていなかったようですし(私も単語を聞いた事がある程度でした)
自己効力感(≒自信)は教育業界/心理支援職の方以外には馴染みが無い単語だと思いますが
生活面で密接に関わっている感覚なので、知っててお得な言葉だと思います
言葉は、その単語自体知らないと調べる事が出来ません
今回、自己効力感については詳しく説明が無かったと思うのですが
それは、割と有名になっている言葉で、理解しやすい解説が散らばっているからだな、と思いました
(少なくとも「時間分解能」よりは、わかりやすい解説が沢山あります)
加えて、「参考」は本当に参考程度と思いますが「RDoC」「HiTOP」などは本当に専門的なので、その手の情報を知りたい方にとっては、ネットサーフィンで手に入らない言葉の発見と感じます
このように、研究者の方の話を聴いていると、自分に関係する言葉の収集にもなると思っています
*
篠宮先生は発表の最後に、ご自身の歴史的研究の「お願い」で
自閉症・発達障害に1980年代くらいから取り組んでいる方/1989年、1970年代から取り組んでいる方で、お話を聴かせて頂ける方を探している事、知人がいらっしゃったら紹介して頂ければありがたい事を喋っていました
(twitterアカウント:https://twitter.com/sawakoshinomiya 心当たりがある方、ぜひ私からもお願いします)
発達障害の概念って、約半世紀前からあるんですね!そこに驚きました
私はこのあたりの年代、精神医学は、現在細分化されている病態を全て「狂気(insanity)」と一緒くたにして、「正常」という状態から排除していた、という認識でした
現在進行形で研究している内容のお願いは「まだ明らかにされていない領域を研究中」なので「今、わかってないんだな」という事がわかります
こんな発見が出来る事も「研究者の方の発表特有」と思いました
*
うわ…10,000字を越えました(汗)
最後まで読んで頂き、嬉しい限りです
ちょっとでも読んでくださった方々の、生活のしやすさに繋がっていきますように
ではまた
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