こんにちは、ゆらりです
先日、広い意味で教育に興味ある方々が参加?加入?しているコミュニティの交流会に参加しました
その、ちょっとした感想&考察です
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途中からzoomで参加し、ブレイクアウトルームに行くと「探究学習」について話していました
探究学習って、何ていえば良いのだろう…説明だけで教育関係の方々は2~3時間喋りそうなのですが
「児童・生徒・学生さんが自分でやりたい事を念頭に置いて、あれやこれやと試行錯誤・紆余曲折しながら色々学んでいく時間」という理解で大体はオッケーだと思います
とても大きい事を言うと「生きる練習・訓練」かもです
教員さん以外も含め「児童・生徒さんがどうしたら伸び伸びと探究学習に取り組めるだろうか?教員・学校側の課題はなんだろうか?」という事を話していました
ふと、教員さんが「小学校の先生に聴きたいんだけど、どうして鉛筆じゃなきゃだめなの?」との声に「良く言われるのは筆圧がどうこうですね…」と仰られたので
「私、発達障害の当事者で、合理的配慮の話をしてたら、親御さんが握りやすいペンを使わせて欲しい…と相談しに行ったら、消しゴムにペンの芯を刺すからダメ、トラブルの元だから、と断られたって聞きました。どうしてもなら、医師の診断書を求められた、と」って言うと
「鉛筆ダメな子に使いやすいペンって、もう妥当な理由じゃ…?」とか「みんな違ってみんな良いんですよね?」とか
児童・生徒さんが主役の発言ばかりで、なんだか凄く息が楽になった感覚がありました
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その後、参加者の方々と話題共有して、主催の方の近況報告を聞きました
そこでも、自然発生的に「主催の方の最適解ってなんだろう?」と皆が意見を出していて
誰も、その主催の方をコントロールしようなんて思っておらず「良い感じになって欲しい!」が溢れていて
使い古されて手垢が付いた二文字だけど
「愛」ある場を体感しました
身体症状の過緊張が、いつもより緩んでいました
素敵な方々、素敵な場に感謝です
考察:心理的安全性とは
「愛」です
雑過ぎるので、もうちょっと説明します
心理的安全性を保つ条件を、今回の「愛」のある場を体感した後で考えてみました
・「みんな違ってみんな良い」が御互いに自然と出来て、自然と出来るように距離感をひたすら調整している状態
人間には感情があるので距離感を間違えたらイラつく事もあるし、そこの調整をし続ける事が必要なのかな、と思います
キリスト教の教えで「隣の人を愛しなさい」というモノがありますが、多分「神様がハッキリ明言しないと、隣の人とはケンカしがちである」の裏返しなのかと感じました
物理的に簡単に距離を調整出来なくて、隣の人とは折り合いをつけるのが難しいんです。キリストの神様がお達しを出さなきゃいけないくらい
・自分を含めた生命・世界に敬意がある
有名雑誌が定期的に特集してる「〇〇な人10人」みたいな企画に取り上げられた方々の話になったのですが、選ばれた人、選ばれなかった人がもちろん居ます
zoomのチャットで、私が「要するに、みんな凄いんですよね(雑にまとめてすみません)」と打つと「ほんそれ。みんな凄い」と返答がありました
別に雑誌にのらなくても、知名度が低かろうが高かろうが関係無くて「凄い」んです
派手に最前線で知名度が高く活躍されていると言われる人も、自宅の前で花に水やりしながら登校中の児童・生徒にあいさつしてる人も、みんな凄い
…を、心の底から信じている感じが「場」にありました
まだまだ雑かもだけど、この辺で
私の過緊張が緩んだ事、これが「心理的安全性が保たれている」と感じた次第です
下記のコミュニティです。ぜひページを覗いてください
https://community.camp-fire.jp/projects/view/864964


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